先輩社員の仕事紹介(現場監督)

早いもので入社して4年が過ぎ去ろうとしています。
一年目は、焼津市近辺の土木、建築現場で、先輩方のご指導を受け、職人さん達の助言をもらいながら、施工管理面の基礎知識を身につける事ができました。

現在は、宮城県気仙沼市にて、東日本大震災からの復旧・復興工事に携わっており、被災した漁港の復旧並びに、高さ8m、全長1kmに及ぶ防潮堤の建設に従事しております。

工事現場の近くには、3・11の震災で被災された気仙沼市立階上中学があり、被災直後の梶原裕太君の卒業式での力強い答辞を知り、勇気と感動をもらいました。
答辞のほんの一部ですが紹介します。

『時計の針は、十四時四十六分を指したままです。
でも、時は確実に流れています。
生かされた者として、顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、
強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません』

『命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。
しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、
助け合って生きていく事が、これからの、わたくしたちの使命です』

技術者としては、未熟者ですが、『強く、正しく、たくましく』をモットーに、一日でも早く先輩方の技術に追いつき、あるいは追い越せるように日々努力し、一人前の現場監督となり被災地の復旧・復興に貢献したいと考えています。

採用情報はこちら→ http://www.hashimotogumi.co.jp/recruit/

 

先輩社員の仕事紹介(現場監督)

幼い頃から建築現場での仕事がしたく、専門分野の学校に通いました。
学生時代に習得した専門知識を活かし、多くの体験をしています。

現場監督とは、協力会社との信頼関係を築き、打ち合わせを密に行い、的確な指示を出し、工程の全てをチェックし着実に工事を進めていく仕事です。

現場での作業をスムーズに進めていくには、状況に合わせた的確な判断が必要となります。

私は入社5年目とまだまだ未熟ですが、先輩方のサポートに支えられ、チームとして働いている有難みを常に実感しています。
これからは様々な資格取得にも挑戦していき、一日でも早く先輩方に追いつけるよう、日々努力して頑張りたいと思います。

採用情報はこちら→ http://www.hashimotogumi.co.jp/recruit/

 

HASHIMOTO’s Summer Internship開催!

酷暑の中、橋本組インターンシップへご参加いただきありがとうございました。

1日目は、オリエンテーションから、橋本丸現場見学、橋本丸に乗船し、南防波堤の現場見学、
橋本組生コン工場の見学、午後のワークショップでは、
業界研究として、建設業のイメージや業界の課題・問題点など学生の目線で
ピックアップしてもらいました。

2日目は、3グループに分かれて職業実習を行いました。
施工管理グループは、午前は新斎場の現場、午後は住宅の現場へ。
住宅プランニンググループは、モデルハウスへ。
営業グループは、実際の営業同行を実体験しました。
最後は本社に集まり、1日経験したことを発表してもらいました。
どの学生さんも初めて経験することが多かったことから、とても有意義と感じて頂けたようです。

最終日の午前は、設計実習と不動産事業計画実習に分かれて、
それぞれとても充実したプログラムを組んでいただきました。
午後は、ワークショップ2つと、なりたい自分への行動計画プレゼンテーション、交流会を行いました。
交流会の盛り上がりは予想をはるかに超えて大成功でした(^O^)

先輩社員の仕事紹介(現場監督)

焼津市に生まれ育ち、高校を卒業する頃には、地元で仕事に就きたい。そう考えるようになっていました。
建設関係の高校では無かったのですが、焼津港で工事を行っていた橋本組に目が留まり、就職活動を始めました。

会社に入ってからは同期世代とのハンディキャップを度々感じることもありましたが、
先輩からのアドバイスを積極的に受け入れ、同時に前向きな姿勢を崩さ無いことに心掛けてきました。

思えば43年、長いような短いような年月でしたが、会社に少しでも貢献できたら良いなと思いつつ現在は東北南三陸町で頑張っています。

 

先輩社員の仕事紹介(現場監督)

「人生万事塞翁が馬」
私事ではありますが、(株)橋本組へ昭和52年に入社し、勤続44年となりました。
60歳を過ぎ、故郷、静岡で豊臣秀吉の辞世の句のように、「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 駿河のことは 夢のまた夢」なんてことになる予定だったのですが・・・
人生とは分からないものです。
話を、昭和47年に「タイムスリップ!」します。

静岡県立島田工業高校土木科を卒業し、ある橋梁工事会社に就職しました。
就職試験の面接で、志望動機を聞かれたとき、「教室の床に、御社のパンフレットが落ちていたので、ご縁と思い決めました」と応えたんですが・・・
今考えれば途方もない事を言ってしまったものですが、そこはまだ、18歳の子供ですからお許し下さい。(実は、就職試験から家に戻る前に合格通知が届いており、引く手あまたの時代だったんです)

そして、首都高速 横浜Y工区、山形の白川ダム中津川橋(ニールセンローゼ橋)工事を経て、東北自動車道(宮城県白石工区)白石川橋上部工工事に従事しました。
時は、昭和48年第4次中東戦争勃発を契機として始まった石油危機「第一次オイルショック」の頃で、燃料調達に苦労したことを憶えています。
(長距離トラックを頼むのに、帰りの燃料を用意しないと来てくれなかった)

下請業者作業員の多くは、地元の建設会社の方々で、当時は美少年だったものですから皆さんに大変可愛がっていただき、様々なことで助けていただきました。
(今では、美少年の面影もないのですが・・・笑)

特に、新成人の際は、宮城県白石市の皆さん、下請けの方々や、特に白石城当主の子孫である片倉氏(宮司)に、祝っていただき歴史好きの私としては感激の極みでした。
昔で言えば、宮城県は「元服」したところなのです。(初めての交通違反も仙台ですが)

そして皆さんも大変な衝撃を受けたと思いますが、2011年の東日本大震災の発生です。
まさに「人生万事塞翁が馬」です。

現在は、宮城県本吉郡南三陸町の復興工事に赴任しております。
今年で、満64歳となり、体力は衰えましたが、経験に基づく知力と気力にて、微力ながら宮城の皆様にご恩返しが出来ればと日々精進しています。

先輩社員の仕事紹介(現場監督)

昨年で入社43年が過ぎた66歳!
自分が若い頃想い描いていた60代とはちょっと違うぞ!
まだまだ今の若い者には負けません!・・・なんて言ってるのが年寄りの証拠かな?

駆け出しの頃、土木の道に入ったきっかけや続けられている理由は?と聞かれた時、
“黒部の太陽”という、三船敏郎と石原裕次郎共演の、黒部第四ダム建設の映画に感動して!と答え!
仕事で悩み、行き詰った時、『無名碑』という曾根綾子さんの本を読んで助けられ、夢を膨らませたものです。などと答えていたのを覚えています。

特に無名碑は、一人の男が大自然を相手に人間の知恵と勇気と力を発揮して、ダムや道路の建設に生涯を賭けていくという物語で、
無名碑とは、人間が自然の中に造り上げ、完成すればその地を去っていくそして・・・・・名前は残らない。
完成された構造物は、すべて輝かしい『無名碑』なのである。という解釈なのです。

だから自分の子供がまだ小さかった頃、道路を走っている時に「この道はお父さんが造ったんだよ」などと言っていたものです。
それだけ自慢できる仕事を43年間この会社でやり続けてきたという自負が、今の私にはあります。

・・・・継続は力なり!・・・・

 

先輩社員の仕事紹介(現場監督)

今年で三年目に突入します。
入社してから二年、たくさんの現場に行きました。
大変なことも山ほどあり挫けそうになるときもありましたが、初めて自分の現場を完成させたときは、この二年も案外無駄ではなかったのかなと思えました。
つらいことと同じくらいに楽しいこともあり日々人間的に成長している実感があります。
三年目になれば後輩も増えてきます。先輩風を吹かせるつもりはありませんが、少しでも後輩の手本となれる監督になっていきたいです。
石の上にも三年、辛抱の時です。
まだまだ未熟者ですが先輩たちと同じステージに立てるよう日々努力をしていきます。