先輩社員の仕事紹介(現場監督)

私は清水出身で工業高校(都市工学科)卒業後、大学(土木工学科)を出て橋本組に入社しました。
出身を言うとなぜ清水にも建設会社はあるのに焼津の橋本組を選んだのかとよく不思議がられますが、会社の歴史や社風、事業拡大に向けて常に先を見据えている姿に魅力を感じ、自分もその力になりたいと思ったからです。

入社してから今までを振り返ってみればあっという間で、毎日目の前の事に取り組んでいるうちにすぐに時間は過ぎていきました。
自分の仕事は現場監督で、現在は焼津港の現場で工事を行っています
現場監督というのは、現場で作業する作業員さん、職人さんたちが安全で効率よく、精度の高いものが作れるように段取り、管理をすることが仕事です。

現場監督の仕事は想像以上にやることが多く、わからない事ばかりで日々勉強中です。
先輩方はわからないことがあれば丁寧に教えてくださり、時には叱ってくれる優しい方々ばかりなので毎日楽しく仕事ができています。
4月にはまた新入社員が入り、自分は先輩になります。自分はまだまだ未熟ですが、先輩として少しでも後輩に教えられるよう学んでいき、いち早く一人前の監督になれるようがんばります。

先輩社員の仕事紹介(現場監督)

親の影響もあり、幼い頃から現場監督と言った職業に憧れていました。
学生時代には現場監督になりたいと強く思うようになり島田工業高等学校で都市工学科(土木)の専門分野へ進みました。

現在は、現場監督として学生時代に習得した専門知識を活かし様々な体験をしています。
入社一年目は右も左もわからない状態でしたが、上司や先輩方のサポートに支えられ有難みを常に実感しています。
どの先輩方も仕事の面では、私がわからないことがあれば親身に相談に乗っていただいたり「こうしたらどう?」など知恵、知識をたくさん学ばせていただいています。
普段はとてもフレンドリーで「仕事は楽しい?」「現場の進み具合はどう?」などとても話しやすくいい環境で仕事が出来ています。

そんな尊敬できる先輩方に一日でも早く追いつけるよう勉学はもちろんの事、資格取得へ挑戦していきたいと思います。

先輩社員の仕事紹介(現場監督)

早いもので入社して4年が過ぎ去ろうとしています。
一年目は、焼津市近辺の土木、建築現場で、先輩方のご指導を受け、職人さん達の助言をもらいながら、施工管理面の基礎知識を身につける事ができました。

現在は、宮城県気仙沼市にて、東日本大震災からの復旧・復興工事に携わっており、被災した漁港の復旧並びに、高さ8m、全長1kmに及ぶ防潮堤の建設に従事しております。

工事現場の近くには、3・11の震災で被災された気仙沼市立階上中学があり、被災直後の梶原裕太君の卒業式での力強い答辞を知り、勇気と感動をもらいました。
答辞のほんの一部ですが紹介します。

『時計の針は、十四時四十六分を指したままです。
でも、時は確実に流れています。
生かされた者として、顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、
強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません』

『命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。
しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、
助け合って生きていく事が、これからの、わたくしたちの使命です』

技術者としては、未熟者ですが、『強く、正しく、たくましく』をモットーに、一日でも早く先輩方の技術に追いつき、あるいは追い越せるように日々努力し、一人前の現場監督となり被災地の復旧・復興に貢献したいと考えています。

採用情報はこちら→ http://www.hashimotogumi.co.jp/recruit/

 

先輩社員の仕事紹介(現場監督)

幼い頃から建築現場での仕事がしたく、専門分野の学校に通いました。
学生時代に習得した専門知識を活かし、多くの体験をしています。

現場監督とは、協力会社との信頼関係を築き、打ち合わせを密に行い、的確な指示を出し、工程の全てをチェックし着実に工事を進めていく仕事です。

現場での作業をスムーズに進めていくには、状況に合わせた的確な判断が必要となります。

私は入社5年目とまだまだ未熟ですが、先輩方のサポートに支えられ、チームとして働いている有難みを常に実感しています。
これからは様々な資格取得にも挑戦していき、一日でも早く先輩方に追いつけるよう、日々努力して頑張りたいと思います。

採用情報はこちら→ http://www.hashimotogumi.co.jp/recruit/

 

HASHIMOTO’s Summer Internship開催!

酷暑の中、橋本組インターンシップへご参加いただきありがとうございました。

1日目は、オリエンテーションから、橋本丸現場見学、橋本丸に乗船し、南防波堤の現場見学、
橋本組生コン工場の見学、午後のワークショップでは、
業界研究として、建設業のイメージや業界の課題・問題点など学生の目線で
ピックアップしてもらいました。

2日目は、3グループに分かれて職業実習を行いました。
施工管理グループは、午前は新斎場の現場、午後は住宅の現場へ。
住宅プランニンググループは、モデルハウスへ。
営業グループは、実際の営業同行を実体験しました。
最後は本社に集まり、1日経験したことを発表してもらいました。
どの学生さんも初めて経験することが多かったことから、とても有意義と感じて頂けたようです。

最終日の午前は、設計実習と不動産事業計画実習に分かれて、
それぞれとても充実したプログラムを組んでいただきました。
午後は、ワークショップ2つと、なりたい自分への行動計画プレゼンテーション、交流会を行いました。
交流会の盛り上がりは予想をはるかに超えて大成功でした(^O^)

先輩社員の仕事紹介(現場監督)

焼津市に生まれ育ち、高校を卒業する頃には、地元で仕事に就きたい。そう考えるようになっていました。
建設関係の高校では無かったのですが、焼津港で工事を行っていた橋本組に目が留まり、就職活動を始めました。

会社に入ってからは同期世代とのハンディキャップを度々感じることもありましたが、
先輩からのアドバイスを積極的に受け入れ、同時に前向きな姿勢を崩さ無いことに心掛けてきました。

思えば43年、長いような短いような年月でしたが、会社に少しでも貢献できたら良いなと思いつつ現在は東北南三陸町で頑張っています。

 

先輩社員の仕事紹介(現場監督)

「人生万事塞翁が馬」
私事ではありますが、(株)橋本組へ昭和52年に入社し、勤続44年となりました。
60歳を過ぎ、故郷、静岡で豊臣秀吉の辞世の句のように、「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 駿河のことは 夢のまた夢」なんてことになる予定だったのですが・・・
人生とは分からないものです。
話を、昭和47年に「タイムスリップ!」します。

静岡県立島田工業高校土木科を卒業し、ある橋梁工事会社に就職しました。
就職試験の面接で、志望動機を聞かれたとき、「教室の床に、御社のパンフレットが落ちていたので、ご縁と思い決めました」と応えたんですが・・・
今考えれば途方もない事を言ってしまったものですが、そこはまだ、18歳の子供ですからお許し下さい。(実は、就職試験から家に戻る前に合格通知が届いており、引く手あまたの時代だったんです)

そして、首都高速 横浜Y工区、山形の白川ダム中津川橋(ニールセンローゼ橋)工事を経て、東北自動車道(宮城県白石工区)白石川橋上部工工事に従事しました。
時は、昭和48年第4次中東戦争勃発を契機として始まった石油危機「第一次オイルショック」の頃で、燃料調達に苦労したことを憶えています。
(長距離トラックを頼むのに、帰りの燃料を用意しないと来てくれなかった)

下請業者作業員の多くは、地元の建設会社の方々で、当時は美少年だったものですから皆さんに大変可愛がっていただき、様々なことで助けていただきました。
(今では、美少年の面影もないのですが・・・笑)

特に、新成人の際は、宮城県白石市の皆さん、下請けの方々や、特に白石城当主の子孫である片倉氏(宮司)に、祝っていただき歴史好きの私としては感激の極みでした。
昔で言えば、宮城県は「元服」したところなのです。(初めての交通違反も仙台ですが)

そして皆さんも大変な衝撃を受けたと思いますが、2011年の東日本大震災の発生です。
まさに「人生万事塞翁が馬」です。

現在は、宮城県本吉郡南三陸町の復興工事に赴任しております。
今年で、満64歳となり、体力は衰えましたが、経験に基づく知力と気力にて、微力ながら宮城の皆様にご恩返しが出来ればと日々精進しています。